ALE & BOOKS 「ビールと読書」
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2023年のトップバッターは、奈良醸造・醸造責任者の浪岡です。
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『風味の事典』
著者:ニキ・セグネット著、蘇我佐保子、小松伸子訳
出版:楽工社
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5周年を迎えた今年、振り返って今までどれぐらいのレシピを書いてきたのかを数えてみると、100を超えていました。これがすごいことなのかと言われたら、「仕事をやっているだけですよ」と涼しい顔をして言えたらかっこいいのですが、実際のところはそうでない時というのもあるものです。来月の仕込みのレシピを書くぞ!と机に向かい、時間を決めて目標の数のレシピを書き上げることもあれば、なぜか運転中にアイデアを思いついて急いでメモに残したくてあたふたすることもあります。なかには、寝ているときに夢うつつでアイデアが降ってきて、起きたときには霧消していたなんてこともあったりするので気が抜けません。涼しい顔をしているときもあれば、アイデアが浮かんできた瞬間をすくい取ろうと熱くなったり、逆立ちをしたうえで飛び跳ねてアイデアを絞り出したい気持ちになるときもあります。
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じゃ、この状況がストレスかと言うとそうでもなく、これを楽しんでいる自分がいることから、多分天職なんだと思っています。惜しくも亡くなってしまわれましたが、プログラマー出身のとある世界的ゲームメーカーの社長が社長業の傍ら、自ら休日出勤をして土日でプログラミングをやっていたなんて逸話が残っています。規模も立ち位置も全く違いますが、なんとなくその気持がわかるような気がすると思う今日このごろ。
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さてそんな中、たまに訊かれるのが「レシピのアイデアはどうやって思いつくのですか?」というもの。そう問いかけられて改めて考えてみたら、完全にオリジナルの世の中にこれまでなかったスタイルを生み出したい、といった野心が自分の中の核や軸になっているわけではないことに改めて気が付きました。美味しさとは?楽しさとは?といった自分の興味が赴く中で色々な挑戦に取り組んできた、といったところでしょうか。
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日々口にするものに対して「美味しさ」を価値として追求するのは、人類特有の行動かもしれません。この「美味しさ」の追求は何もビールに限ったことではなく、口にするもの全般に渡る普遍的な人間の行動原理といっても過言ではないでしょう。これは人類が単に食いしん坊だというだけでなく、これまで何千年と非常にローカルな流通圏の中で、限られた食材を美味しく食べようと工夫をこらしてきた先人の努力の賜物でもあります。
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今回紹介する「風味の事典」はさまざまな食材の組み合わせを世界中から採取して一冊の事典としてまとめ上げられた労作です。分子ガストロノミーのような科学的アプローチではなくフォークロアとも言えるアプローチは、その組み合わせの裏側にその土地風土の匂いすら感じられることがあるほどで、読んでいると世界の食文化の豊穣さの一旦を垣間見ることができます。
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例えば、コーヒーの欄には「コーヒー&アーモンド」という組み合わせの例示があります。この組み合わせ、スタウトやポーターといったロースト麦芽が主体となる濃色系のビールにナッツの風味のするモルトをブレンドすることはよくやるアイデアなので、割と腑に落ちるのですが、次の欄には「コーヒー&生姜」というものがあります。これは「ギシル」というイエメンとエチオピアで飲まれているコーヒーの飲まれ方の一つを採り上げたものですが、ビールを造っているブルワーの発想ではなかなか出てきません。これをどうやったらビールに落とし込めるのか、なんて考えている時間は趣味と仕事が曖昧となる瞬間で、僕にとっては快感を覚える瞬間なのですが、こういうときに傍らに欲しいのは固まった固定観念を解きほぐしてくれる優しいアルコール。
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秋の夜長、ビールを片手に「風味の事典」を読んでいると、何度となく読み返しているはずのこの本に新しい発見があって、読み飽きることがありません。
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これまで先人が積み上げてきた味覚の組み合わせの多様性を知るにつけ、僕にはまだまだ知らないことがたくさんある。「我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」といったのは誰だったか。この本は僕にそんな言葉を思い出させる本です。
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Selected by 浪岡安則(Yasunori Namioka)|奈良醸造・醸造責任者
奈良でビールを造ったり、小難しいことを考えたり、ビールを造ったりしています。
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ALE & BOOKS 「ビールと読書」とは:
ビールを飲みながらどんな本を読みたいか、いわばビールとフードのペアリングならぬ、ビールと本のペアリングをお伝えできたら面白いのではないか、という提案です。奈良醸造がビールと一緒に読みたい本を紹介したり、どんな本を好きなのか、気になる方々のオススメなどを紹介していきます。
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このあとも様々な方から選書いただきます。どうぞお楽しみに!
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