本に合うビールを造る『ALE&BOOKS&CIDER』企画。読書に合わせたいビールとして、奈良醸造では「KABEL」というビールを醸造しました。今回は特別企画として、奈良醸造に哲学者の谷川嘉浩さんをお招きし、醸造長の浪岡と対談を行った様子をお届けします。
谷川さんは、著書『増補改訂版 スマホ時代の哲学』(Discover 21、2025年)が累計10万部を超える大ヒット。現在は京都の大学で講師として勤めながら、本の執筆やメディア出演など多岐にわたる活動をされています。
哲学と醸造、一見全く別のジャンルですが、意外と話していくうちにその共通点が見つかることも。ビール片手に、本や哲学、醸造にまつわるあれこれをお話した様子を、前後編に渡ってお届けします。後編は谷川さんが工場見学をしたときのお写真とともに、「哲学者」や「醸造家」としての肩書やスタンスについても話しています。また、谷川さんがおすすめする「KABEL」に合う選書もご紹介します。
前編はこちら。
https://narabrewing.com/20251217blog-1

「哲学者」「醸造家」を名乗る理由
浪岡:ずっと聞いてみたかったんですが、谷川さんは、いつから哲学者と名乗り始めたんですか?
谷川:私は、博士の頃からですかね。細かい話になるんですけど、いわゆる哲学を勉強している人は、だいたい「哲学者」ではなく「哲学研究者」という肩書を名乗っているんです。でも、厳密には、このふたつに違いはないんです。
浪岡:そうなんですか。
谷川:簡単に言うと、「哲学研究者」って謙虚さのニュアンスがあるんですよ。哲学は、過去の偉大な哲学者のものなんだと考えている人もいるんですよね。私はデカルトとかそんな存在じゃないんで、同じように名乗るのはおこがましい、みたいな。だから職人見習いみたいな感じで「哲学研究者」と名乗っているんだと思います。
でも偉大な哲学者だけがよく考えていて「哲学研究者」はよく考えていないかというと、本当はそんなことはなくて、人の考えを理解するのってめちゃくちゃ頭使うんですよね。文化も言語も違う、難しく書かれた大量の文献を使って天才の思考や想像力を理解するのも、創造的な営みなんです。過去の偉大な哲学者と同じくらい。
最初は私も「哲学研究者」って名乗っていたんですが、こういうニュアンスって、業界の外に出ていった時には伝わりづらいんです。その細かい違いはむしろノイズになるって私は思って、過去の偉大な哲学者と並んで「哲学者です」って言うことを引き受けました。
浪岡:自覚的に切り替えたんですね。なぜこんな質問をしたかというと、私自身、ビール造りの免許を取った時点で「醸造家」と名乗るのはすごく抵抗があったんです。先人が築き上げてきたスタイルを踏襲するところから始めるので、これを醸造家って呼んでいいのか?みたいな。
でも、気がつくと今は抵抗なく「醸造家」とか「醸造長」と名乗るようになっていました(笑)。どこがターニングポイントだったか、実はあまり思い出せないんですが。
谷川:面白いですね! 似た悩みが業界を越えてあるなんて。先人のスタイルを真似すること、つまり天才の想像力をトレースするっていうことと、自分なりに考えるってことって結構グラデーションがあって、ここからがオリジナリティですっていう明確な線が引けるものではないんだと思うんですよね。だからこそ、呼び名へのこだわりは、実は外から見たらどうでもいいのかもしれません。
それならその文化を育てていくうえで、その名前を引き受けた方がよかろう、と思います。世の中の哲学者って、まだ山の中で霞を食べている人のようなイメージがあると思うんです。でも、ぜんぜんTシャツも着るしお酒も飲むよと。身近に感じてもらえるといいですね。私の見た目と呼び名にギャップがあるなら、それはそれで面白いかなと。

ビールの名前、どうつける?
谷川:改めて奈良醸造が過去に出したビールを拝見していると、名前のつけ方がめっちゃ変ですよね。
浪岡::変ですよね(笑)。
谷川:面白いです。いま目に入ったのだと、トレミー(PTOLEMY)とか気になってしまいました。天文学者のプトレマイオスですよね。ほかにも単語ではなくてフレーズになっているものもあって、ビールの名前っぽくないというか。普段はどのように考えているんですか?
浪岡:もともと、クラフトビールはスタイル名がそのままビールの名前になっていることが多かったんです。でも、きちんと名前をつける流れを作ったのは、私のなかでは京都醸造が最初ではないかなと思っています。私自身、サラリーマンから転身してキャリアをスタートさせたのが京都醸造なんですが、ちょうど醸造をスタートして半年ぐらいのタイミングで入社しました。当時からその名前の付け方が斬新だと思っていました。
谷川:「一期一会」とか、有名ですよね。
浪岡:同時に、自分が奈良で醸造所をやる際に、奈良らしいネーミングはあえて避けたいと考えていました。いわば皆さんが奈良を聞いて思い浮かべるイメージに重なるのは敢えて避けようと。そういうパブリックイメージな奈良とは離れて、この醸造所としては、ほかとは差別化できるようなものにしたいと考えたんです。だったら自分の好きなこととか、ワードのチョイスとかっていうのを前面に押し出してやってみようっていうところが名づけのスタートでした。
谷川:なるほど。ちなみに、ビールよりも名前が先行で決まるわけじゃないんですよね?
浪岡:そうですね。こういうビールを作るんだったら、この名前がハマるかなとかって思って作ったのもあったり、いつかこの名前のビールを作りたいということで名前を収集していたりとか。いろいろですね。
谷川:それでいうと…ちょっとビールの名前でこんなのがあればいいなと思うものがあって。「conversation piece」ってどうですか。もともと、数人が集まった親しげな肖像画という意味らしいんですけど、会話のきっかけという意味もあります。単に「conversation」や「dialog」ではなくって、「conversation piece」というフレーズがいいなって。
浪岡:…え!めっちゃいいですね。それだと、セッションIPAがいい気もするんですけど、ちょっとベタすぎますかね。ケルシュとかもいいな…ちょっと色々考えてみたいです。いただいてもよいですか?
谷川:もちろんです。
浪岡:ありがとうございます(笑)!

谷川さんが「kabel」と合わせたい本
浪岡:今回、読書に合うビールというテーマで「KABEL」というビールを造りました。オクトーバーフェストというスタイルで、時間が経つにつれて麦の香りが開くような設計になっていて、読書をしながらゆっくりと飲んで欲しい一杯です。事前に谷川さんにもこのビールと一緒に飲みたい本の選書をお願いしていたのですが、お伺いしても良いでしょうか‥?
谷川:実は、私は普段から読書しながら飲むことが多いんです。でも飲みながら考えていると、酔っぱらっているからか分からなくなっちゃって、沢山持ってきてしまいました(笑)。
はじめに「KABEL」を飲んだ時は、飲みやすくてゴクゴクいけたんですが、徐々に苦みが口の中に残る様子があったので、明るすぎる本ではないかなと思いました。私が夜に飲んでいたこともあり、明るすぎず、でも重すぎない、浮遊感のあるような本を選びました。
一冊目はジュンパ・ラヒリのエッセイ『べつの言葉で』(新潮社、2015年)。ベンガル系アメリカ人で、家庭と学校で違う言語を使っていた彼女が、イタリアに移住してイタリア語を学んでいく話です。邦訳だと分からないんですが、原文ではだんだん彼女のイタリア語が流暢になっていくみたいです。現在形で書かれているエッセイなので、どの言語にも帰属できず、そのことを楽しいと思ったり、疎外されていると思ったりする彼女の浮遊感が感じられます。

谷川:楽しさとさみしさが同居しているという意味では、山中千瀬さんの詩集『死なない猫を継ぐ』(典々堂、2025年)も合いました。他にも、海外のミステリー小説『女には向かない職業』(早川書房、1987年)を選んでみました。同僚が死んで、一人で探偵事務所を引き継いだ女性が、初仕事として自殺した青年の謎を確かめる話で、ちょっと寂しげなハードボイルドというか淡々としているけど影があるというか、浮遊感を感じるものですね。読んでいるとだんだん、渋みが増していくような本たちです。
浪岡:歌集もいいですね。酔っぱらってもなんとか分かる。
谷川:そうなんですよ! 最初はドイツスタイルのビールと聞いたので、ドイツの哲学者・カントの本にでもしようかなと思ったのですが、酔っぱらうとわからなくて(笑)。
浪岡:飲みながら読むのに、ニーチェとかも違うかもしれないですよね‥。一緒に飲むビールも、あまり癖がないほうが読書が進むと思うんですよね。味わいが立ちすぎると読書の邪魔になると思ったので、今回もあまり主張しすぎず味わえるような仕上がりにしました。
谷川:なるほど。また飲みたいと感じる味わいなのに、読書に入り込む気持ちを邪魔しないので、本当に美味しいです。もともと奈良醸造のビールを飲んでいたので、こうして醸造所を見学して直接ビールのことをお聞き出来てよかったです。しかも飲みながらほろ酔いで(笑)。
浪岡:私も色々お話できてよかったです。ちょっと頂いた名前「conversation piece」で、ビールのレシピを真剣に考えます…!

ビールと本から始まった、ふたりの対話。谷川さんが仰っていたように、まさに色んなことを思い返しながら話すなかで、お互いの共通点を見出したり、違いを学んだり、ビールと本が「conversation piece」となる、とても楽しいひとときとなりました。
皆さんもぜひ、読書とビールを楽しんで頂き、またそのことを誰かと話してみるのはいかがでしょうか?
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Photo by ten chisato
Write by conomi matsuura








