本に合うビールを造る『ALE&BOOKS&CIDER』企画。読書に合わせたいビールとして、奈良醸造では「KABEL」というビールを醸造しました。今回は特別企画として、奈良醸造に哲学者の谷川嘉浩さんをお招きし、醸造長の浪岡と対談を行った様子をお届けします。
谷川さんは、著書『増補改訂版 スマホ時代の哲学』(Discover 21、2025年)が累計10万部を超える大ヒット。現在は京都の大学で講師として勤めながら、本の執筆やメディア出演など多岐にわたる活動をされています。
哲学と醸造、一見全く別のジャンルですが、意外と話していくうちにその共通点が見つかることも。ビール片手に、本や哲学、醸造にまつわるあれこれをお話した様子を、前後編に渡ってお届けします。前編はまずお互いの出会いから、谷川さんの話す「味の現象学」について紐解きます。

味の現象学って?
浪岡:そもそも、谷川さんは奈良醸造をどうやって知っていただいたんですか。
谷川:私が奈良醸造を知ったのは、漫画『琥珀の夢で酔いましょう』(マックガーデン、2019年)がきっかけです。京都が舞台だったので読んでみようと思ったら奈良醸造が紹介されていて、気になってネットで買って飲んでみたんです。
浪岡:実は、以前に谷川さんのXで奈良醸造のことを紹介していただいている投稿を拝見しました。ここにある「麦酒の現象学」というワードチョイスが面白くて、ぜひ一度お話してみたいと前から思っていたんです。
奈良醸造の商品説明、該当するビールを飲む時の体験の記述として解像度高すぎるんだよな……飲むとその記述と自分の体験の一致ぶりに驚く。麦酒の現象学。
あと、パッケージかわいいし、タイトルがいい。https://t.co/SpMhWVZxZ5 pic.twitter.com/LRytAs3Oxy— 谷川嘉浩『スマホ時代の哲学 増補改訂版』 (@houkago_kitsune) October 27, 2024
谷川:嬉しいです、言ってみるものですね(笑)。この投稿をした頃、平野紗季子さんというフードエッセイストの方の本を読んでいて。その方は味の説明がとても上手で、食べたことが無くても食べた気分になるような文章なんです。その矢先に奈良醸造のビールを飲んで、Webサイトに書かれている味の説明と飲んだ時の体験がほぼ同じだったことに感動しました。言葉でユーザーの主観的体験をガイドするっていうユーザー体験の作り方があるんだなって改めて教えられた感じがしました。言葉によるUXデザインというか。
浪岡:奈良醸造では「PRISM」が美味しかったと言ってくださっていましたよね。少し前に出したビールではあるのですが、印象に残っていたようで嬉しいです。

わかりやすさのなかに、3%のカオスを
浪岡:私も谷川さんの著書『スマホ時代の哲学』を拝読しました。言葉のチョイスがすごく面白くて、哲学書だけどカジュアルに読めちゃいました。これを入口に哲学に興味を持つ人も出てくるんだろうなと思いました。
谷川:ありがとうございます。できるだけ読みやすくなるように意識はしました。でも、その塩梅が難しいなと思っていて。カジュアルすぎると人ってあまり求めなくないですか?
浪岡:それはなんとなくわかる気がします。
谷川:たとえば、哲学書で一番カジュアルなのは名言集です。ハードルを下げて興味を持ってもらう事に繋がるんですけど、簡単で消化しやすくした内容だけだったら学問として魅力がないから、私はちょっと難しい内容も必要なんじゃないかと思っています。この本も、親しみやすくカジュアルな雰囲気だけど、少しわからないところがあればいいなってと思ってるんです。
浪岡:なるほど。実は、ビールの説明も同じ事を心がけてまして。ある程度ビールのことに詳しい方はすっと読めるんですけど、そうじゃない方にはいくつかのワードがわからないように意識しているんです。たとえば「ドライホッピング」って何だ?と踏みとどまってもらって、後から読み返したり調べてもらったりすると飲み手の方がもっと深く楽しめるんじゃないかなと。そういう形で他のビールにも興味を持ってもらえることを願って、あえて分かりやすい言葉の中に専門用語を混ぜながら書いています。
谷川:クリエイティブディレクターの古川裕也さんという方が、「3%のカオスが大事だ」と、仰っていました。印象を残すには「何か分からないけど、何かすごいものを見た」っていう感覚を作るのが大切だと。この塩梅が創造性なんですよね。カオスが多すぎると訳が分からなくなるし、少なすぎると魅力が足りなくなる。カオス、つまり難解さをひとつまみ入れるんだと話していました。
浪岡:なるほど。うちの説明では、たまにそのカオスが20%くらい入っていることもあるのですが(笑)。飲み手にとっても、その味わいを本当か確かめながら飲んで欲しいと思うことはありますね。

伝えるための「説明」と「誘惑」
浪岡:谷川さんの文章を読んでいると、例えがとても分かりやすいですよね。
谷川:講義をしているときに、出来るだけ分かりやすい例えを使うようにしているんです。私は「説明」と「誘惑」っていう風に使い分けています。説明は「AはBで、BはCです。だからAはCです」とロジカルに伝えたいときに用いるもの。でも、それだけだと全然魅力が出ないじゃないですか。「例え」は相手にそのことを疑似体験させることができるので、ちょっと誘惑的なんですよね。「何かいいな」っていう魅力を見いだしてもらうには必要なのかなと。
浪岡:なるほど。
谷川:いい例えを使うっていうのも、私は哲学の仕事の一部だと思っていて。これまで使われてきた言葉では言えないことを言いたいなら、新しい表現を探す必要がありますよね。そのとき、例えは有効なんです。実際、哲学者はその始まりの時代から例えをずっと使っているんです。例えで何か表現して、ちょっといいなって思ってもらってから、その後のドライな説明にも付き合ってもらうみたいな。
浪岡:クラフトビールの裾野がどんどん広がっていくなかで「苦い」「フルーティ」「甘い」「酸っぱい」という切り口だけでは語りきれないものがいっぱいあると思うんですよね。だから色んな味わいを説明することにいつも苦労しています。
谷川:たしかにフルーティだけだと、結構いろんな意味を閉じ込められちゃいますよね。
浪岡:フルーティって、 あまりに包括的すぎて何も言ってないに等しいんですけど、そう言われたら分かった気になっちゃう。だから、社内ではフルーティを極力使わないようにしています。
谷川:社内で言葉を禁止するっていうのも面白いですね。私もゼミで言語化することを禁止することがあります。紋切型の言葉、使い古された言葉をなんとなく使っていると、特定の思考にハマって抜け出せなくなることがあるんです。
浪岡:そうですよね。味を言語化することで受け取り方を限定してしまうかもしれないという危惧もあって。その人の思う味の解像度を下げてしまうのではないかなと、いつも悩みながら書いています。
谷川:味わいは体感が優先されやすいから、そもそも好みは人それぞれだと思うんです。だからこそ、奈良醸造のようにライナーノーツで味の説明を詳細にしたとしても、飲む人は「でも私はこう感じたな」と返せるし、「感じたこと」は否定しづらいですよね。だから、奈良醸造の説明って、むしろ味についての思考や会話を生み出すことにつながっていると思います。
そういえば、最近ある学生と話をしていて、その学生が好きだと言っていたアーティストを聴いたよと言ったら「最近おすすめに出てこないから聴いてない」と言われて驚いたことがありました。接している=好きで、不在を楽しめなくなっている。
でも80年代頃の音楽体験では、先に雑誌のレビューを通じて、つまり「言葉」や「説明」を知ってから実際に聴くということが多かったらしいです。どんなのだろうと想像してから音楽を聴くという経験も豊かだなと思うんです。奈良醸造のビールもオンラインで買うとそうなりますよね。ビールの味の説明を読んで、届くまでのあいだに想像する。「体験より言葉が先にある」は、不在を楽しむことにもつながっているので、私はめっちゃいいなと思います。

言葉をフックに、思い返してもらえるように
谷川:私の周りでものづくりをしている人は身体知を大切にしている人が多くて、ものづくりをする人は言葉にするのは苦手なイメージだったのですが、浪岡さんが言葉にこだわる理由は何なんですか。
浪岡:私が、座学からクラフトビールに入ったということが大きいかもしれないですね。ロジックから考えていくほうが好きで。ビール造りに関わらず、言葉で記してから考えを固めていくことが多いんです。
谷川:もちろん経営者として俯瞰で見ないといけない場面もあると思うのですが、今日お話を伺っていて、奈良醸造にはただものづくりをするだけではない、何かがあるんだなと思いました。
浪岡:言葉で残すことで、何かしら思い返してもらえるようなフックを作るようにはしています。音楽や本と違って、後から聞き返したり読み返したりすることができないので難しいのですが…クラフトビールも音楽と同じ『嗜好品』なので、欲を言えばインスタントに消費されずに、何かしら楽しんでもらえるような仕掛けを作っていきたいとは思っています。
谷川:最近、思い返すことについて考えてて。人間の会話ってほとんど思い出すことによってできてるんじゃないかなって思うんですよね。「今日こんなことがあったんですよ」とか過去の話をすることとか。だからこそ、思い出せるビールっていいなって思いますね。味は再現できないけど、それについて喋りたくなるっていうのが、良くないですか。
浪岡:基本的にビールを主役にしたいという思いはなく、何かのシチュエーションに寄り添えるビールを提案できたらいいなとは考えています。俺のビールを飲んでくれ!というよりは、ひとりでも、みんなでも、集まった場にビールが寄り添えるようなビールを目指しています。

後編へ続く
https://narabrewing.com/20251217blog-2
後編は、谷川さんが工場見学をしたときのお写真とともに、「哲学者」や「醸造家」としての肩書やスタンスについても話しています。また、谷川さんがおすすめする「KABEL」に合う選書もご紹介しています。
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Photo by ten chisato
Write by conomi matsuura








