ALE & BOOKS & CIDER ー ビールと本のペアリング
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読書に合うビールを提案する「ALE&BOOKS&CIDER」企画。奈良醸造の新作「kabel(カベル)」を飲みながら読みたい本を様々な方にを選書いただきました。これから少しずつ、おすすめの選書を投稿していきたいと思います。最初の選書は、奈良醸造・醸造責任者の浪岡より。ぜひみなさんも、「#のみものとよみもの」のハッシュタグで、ビールに合う本を教えてください!
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『バルトの光と風』
著者:河村 務
出版:東洋出版
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二十歳。
僕は自己という病を、旅という毒で癒そうとした。
はじめての一人旅に選んだ先はバルト三国。理由は、当時これらの国に関する情報はまだ少なく自身の知識の手垢がついていない地域だったこと。そして、物理的にも心情的にも奈良を、日本を離れてひとりになれるだろうと思ったことだった。
そこで、僕はたくさんのこれまでに見たことのない風景を見たり、聞いたりした。
リトアニアの首都、ヴィリニュスの旧市街は石畳に覆われていて、その石畳を馬がコツコツと音を立てて歩いていく音で毎朝目が覚めた。下水道のマンホールにはキリル文字が鋳込まれていて、ソビエトの香りがまだ街のそこかしこに残っていることを感じながら、目に見るものすべてが新鮮だった。
またラトビアでは、バルト海の離島に渡って夜の十時を過ぎてようやく水平線をかすめるように沈んでいく太陽を波打ち際で飽きもせずに眺めていた。泊まっていた農場の片隅にある納屋は、その傍らにリンゴの木があって、熟れたリンゴがぽとぽとと落ちてはトタン屋根を叩くので、その音に驚いてなかなか寝付けない夜を過ごした。
それらは、奈良に住んでいると決して見ることのない風景ばかりだった。
常にお腹は空いていた。なけなしのお金を握りしめて日本を飛び出した旅は、出たその時から財布のカウントダウンが始まったようなもので、毎夜手元に残った残金を集計して、一日に使える予算を組み直しては一喜一憂していた。
そんな中、とある日本人の方に出会った。今回紹介したい本書は、その日本人の方が書かれた旅行記である。そして、そこには二十歳の僕が出てくる。
自分を客観的に見ることは難しい。不可能だと言っていい。いかにそうしようと努めても、主観や気取り、繕いが入ってしまう。この本に書かれているのは、お腹を空かせて、バスに乗る交通費を浮かせるために何キロもとぼとぼと歩いている、二十歳の日本人大学生としての僕である。
僕はこの旅の間、旅日記を書きとめていて、それは今も僕の手元に残っている。その日その時自分が見たこと感じたことを書いたそれが陽画だとしたら、この旅行記はその時の僕がどう見えていたのかを記録した、稀有な陰画と言っていい。
出会ったその日の夜、連れて行っていただいたパブで僕はこんなことを言っていたらしい。
「実は、僕はビールをそんなに飲んだことがないんです」
続けて、この方になら聞けるんじゃないかと思い、こんな質問をぶつけている。
「サラリーマンてやっぱり大変ですか?」
読み返すと面映ゆく、そして、そんな僕が結局奈良でビールを造る人になるなんて、未来はまったく自分の想像を軽々と飛び越えたところにあるものなんだと思えて仕方がない。
そこから四千以上の日と夜を経たところに今の自分が立っているわけだが、この本を読み返すたび、二十歳の自分が抱いていた感情が、悩みといった苦みを伴ってまざまざと蘇ってくる。そして、その時の問いに対する答えは、まだなにひとつとして見つけられていないことに改めて気がついて、はっとさせられるのである。
とりあえず、あの時よりもビールは飲めるようになった。
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Selected by 浪岡安則(Yasunori Namioka)| 奈良醸造・醸造責任者
奈良でビールを造ったり、小難しいことを考えたり、ビールを造ったりしています。
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ALE & BOOKS 「ビールと読書」とは:
ビールを飲みながらどんな本を読みたいか、いわばビールとフードのペアリングならぬ、ビールと本のペアリングをお伝えできたら面白いのではないか、という提案です。奈良醸造がビールと一緒に読みたい本を紹介したり、どんな本を好きなのか、気になる方々のオススメなどを紹介していきます。
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